ありがとう、淳さん

ヨンセンのヘッドがゴールに吸い込まれた瞬間の絶望感も、貴章の同点ゴールが入った瞬間の高揚感も、円陣を組む選手たちに向けて喉がガラガラになって声が裏返りながら歌ったアイシテルニイガタも、ぽっかりとエアポケットが出来てしまって決勝ゴールを許したあの瞬間も、試合後のマラソンを走りきった時のような猛烈な足と脇腹の痛みも、鈴木淳コールに手を振って答えてくれた淳さんの姿も。

絶対に忘れないと思う。この日のアウスタには、本当に濃密な4年間の色んな要素が凝縮していた。あの場所にいる事ができて、本当に良かった。



淳さんの退任が決まってからずっと考えてる事がある。それは「淳さんがアルビレックス新潟にもたらしてくれた最大のギフトは何だろう?」って事。
それは例えば、アグレッシヴなプレスと奪ってからの効果的な速攻、サイドバックがビルドアップに絡む分厚いサイドアタック、センターバックボランチのトライアングルで作る屈強な真ん中の守備、ラインが下がって袋叩きにあっても絶対に失点を許さない精神的な強さ、そして粘り強いプレーをやりきるスタイル…などなど、いくらでも挙げられるだろう。

だけど、一番のギフトは「自分たちのサッカーを表現すれば勝てない相手はいないという自信」だと俺は思う。

これまでの新潟は、相手よりこちらが弱いという事をまず前提として、その上で毎試合の対策を取って戦う事を主眼としていたチームだった。そして何より、チームに関わる人たちがいつも漠然とした強豪チームへの羨望やコンプレックスを抱えていたように思う。J2の初期は他の戦力が揃ったチームに対して、J2の強豪になってからはJ1のチームに対して、そしてJ1に上がってからは優勝争い常連チームに対して。実際の戦い方も(これは反町監督の手腕を批判しているわけでなくね。反町監督は状況を考えれば完璧な仕事をしてくれたと思う)、基本は相手に合わせるサッカー。相手を精査して、そこから導いた相手の弱点を徹底的に突いて行くことにひたすら注力する、ということを毎試合繰り返して生存競争を切り抜けてきた。


だけど、淳さんに代わって劇的に変わったのは、もはや監督の代名詞でもある「ぶれない」ということ。ぶれないって事はつまり、自分たちのスタイルに覚悟を持つということ。自分たちの力を信じるということだ。

戦力・資金力を考えれば、実際強豪チームと比べて新潟が劣っていることは否めない。だけど、そんな中でも自分たちのサッカーをじっくり構築して確固たる軸を作り、その軸の上に相手のスカウティングから導いた答えを毎試合乗っけて戦うというスタイルを、4年間の全ての試合でやり通した。たった一つのぶれもなく、4年間での170試合近くの全てを、相手が下位チームであれ、ガンバ大阪であれ、鹿島アントラーズであれ、全く変わらずやり通した。
そしてそのスタイルで勝利を手に入れてきたんだ。生存競争をそのスタイルで強かに生き残り、今年に至っては首位争いをずっと演じることができた。相手への過度の畏怖や、不細工なコンプレックスなんて、もう僕たちには必要ない。それを教えられたのがこの4年間だったと思う。僕たちの相手はあくまで日本の同じカテゴリーの中のチームだ。鹿島にダブルを食らわせちゃうことだってできるのだ。カンプノウバルセロナと対戦しろって言われてるわけじゃない。そう、そんな中なら不可能なんて何もないはずなのだ。


そんな事を、昨日の帰りの電車の中で考えながらモバアルのコメントを確認したら、淳さんもほぼ同じことを言及していた。友達と別れた後だからもういいよな、って思って、ちょっとだけ泣いた。



だから僕たちのこれからの使命は、その記憶をただの甘美な思い出にしないことだと思う。淳さんの残してくれたこのギフトを、遺産を、自信と誇りを、これから続くアルビレックス新潟の歴史の礎にしなければならないと思う。
もしかすると来季以降、戦力が削がれてしまうこともあるかもしれない。財政面がもっと厳しくなっていくかもしれない。だけど、今年手に入れたこの自信と誇り、間抜けなコンプレックスを全て一掃させてしまうこの財産だけは絶対に失っちゃいけない。どうあがいてもトップに追いつけない戦力だったとしても、この心構えだけは失っちゃいけない。




淳さんありがとうございました。監督がこのクラブに残してくれたものは、間違いなくこのクラブの歴史の礎となりうるものだと思っています。俺は淳さんのサッカーが大好きでした。本当に好きでした。本当に本当に、ありがとうございました。