(500)日のサマー

  • 37 500日のサマー

深夜にさ、突然過去のトラウマや未熟だった自分の消したい記憶が去来してきて「うあああああ!!」って叫んじゃうことってあるじゃないか。あるよね?ないやつは今すぐ立ち去れ!!
この映画を見てる間、4回くらいそうなった。そういう映画。友人と一緒に行ったから鑑賞後にすぐ席を立てたけど、一人だったら席にどっぷり沈んで、自嘲の笑みを軽く浮かべながら頭抱えちゃったかもしれない。
そしてこの映画は、カラオケでピクシーズとか歌っちゃうことの意味を分かって苦笑してしまう人や、主人公が子供の頃にジョイ・ディヴィジョンの「Unknown Pleasures」のTシャツ着てて、大人になってもまだ着てやがる!ってことに気づいた人や、子供の頃の壁にサイコ・キャンディのジャケが貼られてるのに気付く人や、ベルセバの歌詞の引用をする女の子にグッサリ来る人とか、そういう人たちのためだけの映画。そしてそういった散りばめられたネタがリアルタイマーだった、もしくは90年代〜00年代半ばまでに追体験した20代後半以降の人たち「だけ」の映画。そして何より、そういう「男」のため「だけ」の映画。


この映画に関するひとつの議論に、「サマーはビッチか否か」ってのがあるんだって。なるほど。その議論に参加してみるならば、俺の意見は「サマーはビッチだ!」になる。
俺は男女の友情なんて嘘だと思ってる。俺の中の「友情」の定義とは、「酔っ払った勢いでアナルを見られても別に構わないか否か、で分別するもの」だ。つまり、見せても平気なら友達。見せちゃまずけりゃ知り合い。
この対象を女性にして考えてみる。アナルを見られても平気な女性の友達なんていないだろう。アナルを見られても平気な女性とは、つまり恋人だ。もしくは身内だ。だから俺は男女の友情なんて信じない。サマーとトムは、シャワールームの中でAVと同じプレーをするまでの関係になったのだ。それはアナルを見せることと同等どころか、それ以上だといっていい。なのに、サマーは結局友達なのか恋人なのか、最後まで曖昧なまま去っていく。あまつさえ、最後は自分の強硬なスタイルを翻意して、運命論者になって去っていく。あれだけ運命を否定してたのに!!


だけど、それは男側の責任でもあるんだよね。いや、むしろ9割以上は男のせいなんだ。そんな女が好きでたまらないから悪いのである。そんな女に運命感じちゃうから悪いのだ。何も解決していないのに、勝手に演出から脚本から音楽から出演者から、仕舞いには幕引きまで決めたストーリーを作り上げちゃうから悪いのだ。骨っぽいヒザが、最高にかわいいヒザに見えてしまう自分の中の補正に溺れたから悪いのだ。サマーがビッチであろうがなかろうが、それに溺れた男が悪いんだ。ごめん、それは俺だ。いや、トムの話だ。ん、俺の話か?俺の話なのか?だからトムの話だ!!いや、これは「そういう男」全員の話だ!!!これが分からないやつは去れっ!!!!



この世の真理中の真理でもある言葉=「女は彼女だけじゃない」
劇中でも似たような言葉が出てくるけど、それは本当に正しいんだと思う。いや、絶対そう。どう考えてもそう。彼女がもっと巨乳ならいいのに・・・。彼女がもっとお酒が強ければいいのに・・・。彼女がもっと料理が上手ければいいのに・・・。彼女の鼻がもう少し高ければいいのに・・・。彼女がもっと俺の大好きなラモーンズに理解があればいいのに・・・。いますよー!!もっと巨乳で酒が強くて料理が上手くて鼻が高くてラモーンズ聴いて首を振ってる女の子!!いるんだよ、絶対。
だけど、そんなの探すことはしないんだよね。運命だと思ったら、ずっとそれに溺れちゃうんだ。すがっちゃうんだ。離れられないんだ。そうやって生きていくしかないのだ。それが俺たちなのだ。だけど実は、唯一離れることが出来る方法こそが、「女は彼女だけじゃない」に行き着くことが出来るか、なんだよね。そのパラドックスの濁流に流されて生きてるのが、「そういう」男なのだ。何度も言ってると思うけど、やはりここでも「地球は女で回ってる」んだと思う。


あーなんだよ、映画のレビュー書きながら泣きそうになるって何だよwwこの映画見たばっかりよりも、見た後しばらく経ったほうがくるね。やべーな。ペニス!!ペニス!!!ペニス!!!!


とりあえず、俺が思うにトムはウィンターまで行くね。あいつはまた運命のパラドックスに流されて絶対にウインターまで行くタイプだ。もしかするともうひとつ先の季節までこじらせちゃうかもしれないな。あいつは絶対そういうタイプだ。そうだ、俺もそういうタイプだ。ペニス!!ペニス!!!!ペニス!!!!!


ズーイー・デシャネルのかわいさ(旦那はデスキャブのヴォーカルなんだってさ。あのどう見てもいい男とは言えないあいつか!高感度アップ!!)を楽しむ意味でも、そして自戒を込める意味でも、この後も人生の端々で観ることになりそうな映画だ。間違いない。でも元気があるときに観ないとダメだなw