ありがとうブルーノ・ロペス

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ブルーノ・ロペス退団。彼には感謝の言葉しか無いよ。本当にありがとう。
新潟にとって11番という背番号は特別な意味を持つけど、「外国人選手が11番をつける」という、何となく皆感じてたであろう違和感を開幕直後にあっけなく霧散させてくれた、あの愚直なまでの献身性と運動量と推進力。誰よりも走り、そして何より2011年も2012年も誰よりもゴールを多く奪ってくれた新潟のエース。
2012年の32試合7得点という数字から、彼を批判する声も多かったけど、チームの総得点が29しかなかったチームである。戦術的に完全にぶっ壊れた中でスタートして紆余曲折あったチームの中で、シーズン4分の1のゴールを奪ったのだ。そして2012年の本当に苦しかった新潟が瓦解するのを最後までギリギリの所で防いだのは、34失点という数字に他ならないけど(優勝した広島と同じ失点数である。ちなみに落ちたチームの失点数は50、65、88だ。)、彼の圧倒的な運動量と、チームのために走るという気概は、間違いなくこの数字を下支えするものだった。
戦術が壊れきってスタートしたシーズン当初から、監督が変わって戦術が構築されるまでのゴタゴタと、とにかく最少失点でゲームを進めるしか生き残る道がないところまで追い込まれた終盤。その全てで、彼は走った。連動しないプレスに苛立つことや無力さを感じることもあっただろうけど、それでも走った。走って走って走った。32試合全てで走って走って走りまくった。
改めて思い出さないといけないと思う。アルビレックス新潟というチームは、2012年シーズン、わずか1ポイント上回って、最後の最後で残留を決めたのだ。断言していい。その僅か1ポイント分の上澄みは、ブルーノ・ロペスが32試合走り回らなければもたらされなかった。恐らく彼の勝ち点への直接的な貢献は1じゃ済まないだろうけど、少なくとも彼のように献身的に走って、守備の綻びを単純なマンパワーで埋めてくれる選手がいたことで、結果的に1ポイント上回ることが出来たのは間違いないはずだ。最後の仙台戦や札幌戦だけじゃない。32試合全てで手を抜かずに走ってくれた、新潟の11番がいたからこそ、2012年のあの嘘みたいに最高すぎるフィナーレはあった。
苦しかった2008年を振り返る時、松尾、永田さん、千代反田、うっちーの4バックと、毎試合新人選手がベンチに入っていた光景を思い出すように、俺は2012年を振り返る時、必ずブルーノ・ロペスを事を思い出すと思う。完全に前と後ろが乖離して間延びした状態で、前線に送り込まれるロングボールを受けて、キープしようとするもフォローもなく相手の数的優位を前にボールロストする姿。でもその後に足を止めずにチェイスして一歩目の守備をするのを怠らなかった姿。そんなまさに「酷使」と呼ぶのがふさわしい状況が続いていたのに、大きな故障もなかった頑丈な選手がいた事。そんなことを絶対に忘れないと思う。
あともちろん、ドランゴンボールコスとまさかのドラゴンボールとのコラボ企画もな!!!改めてすげえよな、あれw

ヨーロッパ移籍への道が見えてきたという話もあるし、これからも充実したサッカー人生を、そして幸せな人生を送れますように。ありがとうブルーノ・ロペス。またどこかで。