笠原ハイツ203号室 vol.1

前にちらっと話したと思うんですけど、最近このブログがクッソつまんなくなってるのと、俺の執筆作業が色々と滞ってるのでリハビリが必要だって事で、このブログに連載小説書くことにしました。今後連載小説はこの「東武練馬ポリフォニック」ってカテゴリーでやります。その第一弾の「笠原ハイツ203号室」の第一話です。不定期連載ですよ。途中でやめるかもしれませんよ!ってか書き始めたけど、まだオチとか決まってませんよ!でもまあ、なんとなくゆるーく期待して頂ければありがたいです。
それでは第一話、はりきってどーぞー。






 ああ、こないだ塞いだサッシの隙間じゃねーのか。結局今日も寒くて起きてしまった。クソ。他にどこを塞げばいいんだろう。もうわかんねーよ。枕元のメガネを探しながら、布団の中に入り込んできた冷気に蓋をすべく、必死に左手で布団を首元に押し付ける。メガネはどこだ?一方の右手は枕元にあるはずのメガネを探すのだけど、指は空振りを続け、耳元にシーツと爪が擦れる不快な音を響かせるだけだ。ああ、こうなるともう最悪の事態を覚悟しなくちゃいけない。メガネは、恐らくベッドから落下している。これを取り上げるためには、俺の体温が必死に冷気に抗って作り出し、守りぬいたこの布団の中のぬくもりを捨てて体をベットの下へと向かわせなくちゃいけない。寒い。あのサッシの隙間だと思ったのになぁ。2週間くらいか、どこから冷気がこの部屋に入り込んでくるか分からなくて、やっと見つけた原因と思わしき場所があのサッシの隙間だったのに。窓際に手をゆっくり這わせて探して探して、ひんやりと手に触れたあの冷気を見つけた時のあの高揚感はなんだったのか。
 あーバカじゃないのか。ぬか喜びが一番嫌いなんだ俺は。大学生の頃、嫌いなものを尋ねられたら「イカの塩辛と、陰口を叩く奴」って答えるように決めてからずっとそれを変えずにやってきたけど、ここ半年でその答えが変わった。この世で最も醜悪なものは、ぬか喜びだ。陰口とかもはやどうでもいいし、イカの塩辛なんて味も忘れた。でもぬか喜びはいつだって死なない。俺が、この世が、どっかの誰かが、どんな状態でもやって来るのがぬか喜びだ。ぬか喜びに対峙する唯一の方法は、何にも期待しないこと。絶望を傍らに置くこと。何だそれ。最悪じゃねーか。そんなものでしか戦いを挑めないなんて、こんなに醜悪なモノがあるかっていうんだ。だけどそれが事実で、絶望の在庫は潤沢にあり、最近はぬか喜びをする事は稀になった。きっとそれはこっちがヤツに戦いを挑む準備を完了したからではなく、ヤツが向こうからやってくる機会自体が、最近は殆ど消失していまっているからだ。
 最近。最近か。最近。半年って最近になるのか。いや、半年前じゃないか。もうすぐ1年になるのか。あーでもその境目は忘れちゃったな。ぬか喜びをいつまでしてたかなんてとっくに忘れてしまった。最後にぬか喜びをしたのは、B99Cの隊列が五所川原で殲滅されたってネットで観た時か。すっかりネットの情報に冷笑的になって、一喜一憂しなくなってた頃で、それでもその情報の驚くほどの拡散力に、ほんの少しの希望を感じ取って、体を乗り出してその情報の真偽を確かめてた時か。それが今年のはじめくらいだったかな。ばっかじゃねーの。あの拡散って結局何だったんだろう。それを検証するための暇はたんまりあったけど、そんなことをする気力さえなかった。ぬか喜びに対する大きな憎悪も、その日をピークにどんどん萎えてった。どうでもいいんだよ。どうでもいい。
 メガネはやっぱりベッドの下にあった。布団を左手にぎゅっと抱え、体をねじって右手でレンズをつまみ上げる。この時のポイントは背中と右手と、そして忘れちゃいけない、意外と負担がかかる左足が攣らないように細心の注意を払うこと。この冷気が入り込んでくる部屋に住んでる俺が手に入れた経験則。なんだそれ。馬鹿か。クソの役にも立たないという、先達の残したありがたい言葉がここまで相応しいものもないだろうな。くだらねー。メガネを耳に滑り込ませ、指紋がべったりついた左のレンズ越しに向かいの時計を見る。9時。4時間か。まあ寝れたほうだな。寝ることは大切なことだってのが、俺がここで生きているにあたって、一番と言っていいほど大切にしている事。この状況で生きてくために、最重要として考えるリストの1ページ目の上の方にある。あとは食うこと。ってか食い方を変えること。食うことは生きていくのに必須だけど、生きていくために食うにはコツがある。飽食の時代を批判してた誰か。お前は正しい。とても正しい。バカにしてすまん。食べられないアフリカの子どもたち、すまん。いや、アフリカの子どもたちはやっぱどうでもいいや。アフリカの子どもたちに謝る余裕はない。すまんが、そんな余裕はない。すまん。あ、これ謝ったことになるのか。あーどうでもいいな。なんだこれ。じゃあごめん。アフリカの子どもたちごめん。あー。
 起き抜けの、この腹がすっからかんになった状態が、1日で一番きつい。でも胃は偉大だ。人間は素晴らしい。そんな状態でも、ほんの少しの食い物を放り込んでやれば、夕方くらいまでは文句を言わずにおとなしくしてくれる。素晴らしい。そういう胃袋に変身したという事実が、本当に素晴らしいと思う。アフリカの子どもたちに教えてあげたい。人間は素晴らしいのだよ。めげずに頑張りたまえ。胃袋がきゅっと縮こまる感覚をグッと抑えながら、ベットから這い上がり、布団を肩に掛けて首をコキコキ鳴らす。準備完了。マントショー!!!布団をベッドに投げ捨てる。そう、こうやって今日も布団とお別れをするのだ。あ、この生活で俺が手に入れた経験則その2。ジェームス・ブラウンはいつだって偉大だってことだ。JBの気持ちになって、マントを剥ぐ要領で、布団を剥いで一日を始める。くだらねー。だけどこれやらないとおかしくなりそうなので、やる。アタマがやられるんじゃないかっていう恐怖に抗ういくつかの方法の一つ。JBは本当に偉大。こんなスッカスカの生活にも脂と気概を注入してくれる。ゲロッパってなんだよ。ゲロッパゲロッパ!最高!そんで、くだらねー、と笑える自分を称える。確認する。安堵を頂戴する。ゲロッパ!
 布団を放り投げてキッチンへ向かい、パスタの袋の先っぽの、劣化して今にも千切れそうな輪ゴムをゆっくりゆっくり、慎重に外してパスタを取り出す。右手の人差し指と親指で小さな9の文字を作り、9の穴にしゅっと滑りこむだけのパスタを掴み、半分に折ってフライパンに並べ、水を張る。で、火にかけて沸騰し始めて6分くらいでそのフライパンに塩を掴み入れ、胡椒を振り掛け、醤油を垂らす。お湯とパスタを一緒に丼に流し込み、箸で食う。これが1週間に4日の朝メシ。残り3日はもう少し具を入れる。乾燥わかめとか、ゆかりの振りかけとか、あと何故か棚にあるクミンシードとか、ホールのコリアンダーとか、ホールのクローブとか。しかしカレーに凝った時期に感謝してもし切れない、本当に。普通の家にはこんなの置いていないだろう。スパイスは腹を膨れさせる質量を持っていないくせに、入れると腹を膨れさせてくれるのだ。実に偉大である。感謝。もう1年以上部屋から出られないこんな状態では、何にでも感謝の気持ちが湧いてくるのってのが、経験則その3。