宮藤官九郎が染み出してきた「吾輩は主婦である」

はい、んなわけでサッカー以外に唯一観ている「吾輩は主婦である」について。いやーこれマジで面白いわー。結局宮藤官九郎ドラマの巧さって、役者のパブリックイメージを打破するエキセントリックさと、期待通り・いつも通りのお約束とのバランスだと思うんだよね。
そしてこのドラマはそのバランスが、もはや名人芸の域に達しているとまで思うよ。斉藤由貴竹下景子のグチャグチャなアホキャラと、いつも通りのくっだらないパロディと小ネタのオンパレード。これぞエンテーテインメント。
しっかしまあ、斉藤由貴って本当に素晴らしいな。ていうか超カワイイな。今斉藤由貴がサイン会とかやったら、俺間違いなく行くわ。周りの目を気にしながらも、絶対いくと思うね。Berryz工房の握手会付きのイベントに行くのにはちっとも後ろめたさを感じないのに、斉藤由貴には迷いを見せる俺。何なんだ俺。
まあ、それは置いといてドラマもそろそろ佳境に入ってきたみたいだね。特に今日のは非常に興味深かった。
「書かずにいられないから書くのだ。書けないと言うことは、書く必要がないということだ。充たされていると言うことだ。それは、人間として正常で、幸せなことだ」
って事なんだよね、今日を要約すると。いやーこれは昼の緩い時間をぶち破る、宮藤官九郎の悲痛な宣言だよね。やっぱ芸術とか文芸活動って、基本的に「それしかできない」人がやるべきだと思うんだよね。作品のクオリティを上げる一番の方法って、それにしか注力できない状態を作る事だと思うんだ。
そんな宣言を、お昼のゆる〜いお茶の間に向けて発信できる宮藤官九郎の気概を感じるし、同時にちょっと嫉妬も感じたり。