紺野あさ美卒業に寄せて

さて、紺野が昨日のコンサを最後に卒業ということになったようです。正直言って、今日の朝のニュースを見るまで昨日が最後だって知りませんでした。しかし、今回の紺野の卒業に関しては、「ああそうですか」で済ませる事は出来ないので、一筆取らせて頂きます。
まず、紺野あさ美という人間がきっかけで、俺の好奇心というか、許容範囲というか、まあ砕けて言えばヲタを楽しむ方法を掴んだと言うのは紛れもない事実です。彼女が現れたのは、丁度俺が大学に入って文化的・人脈的な行動範囲が膨れ上がり、同時にネットを始めたことにより知識を蓄える事に今までで最も貪欲であった時期だったと思います。2001年8月。東武練馬のゆるさと新宿・渋谷の殺伐に揺れていた時期ですね。1年前の鬱からの反動で躁に包まれていた時期とも言えます。
高校時代、モーニング娘という未曾有のポップ・アイコンに対してのスタンスは、完全に「対岸の火事」でした。まー何だか盛り上がってる。でも俺には関係ないと。それが完全に瓦解したのは「恋愛レボリューション21」から。あの曲を何の覚悟も無しにカーステレオで聴いた時。あれが最初のきっかけだったと思います。あの極上のポップミュージックに対して、シニカルを貫くほど俺はドラスティックではありませんでした。
そんな俺の「素晴らしいポップミュージックを生み出すポテンシャルを秘めた面白い集団」というモーニング娘に対してのスタンスを「熱烈に応援してみてもいいんじゃね?いいさ!いいとも!」に変えたのが、紺野あさ美その人だったわけです。
あの膨れた顔とダメキャラ、でも実は才女、という事務所が設定した萌えポイントに見事に釣られてしまいました。2001年秋頃の躁状態の俺に、ビックリするほど馴染んでしまったんです。あの膨れッ面が。
そこから娘のCDを買うようになり、コンサに行くようになり、ハロモニを欠かさずチェックするようになったわけです。ただ、ここで重要なのは「俺ってば普段はポストロックとかぁ、ノイズミュージックとぁ、現代音楽とか聴いちゃうのにぃ、モーニング娘にも理解がある男なんだぜぇ」というスノビズムが間違いなくあったと言う事です。中二病という言葉がありますね。そして大二病というものも有ります。俺の見解では、大二病ってのはその頃の俺の事を指すんだと思います。
しかし、一般的な大二病と違う点は「モーニング娘」というアイコンを内包していた所にあると思うんです。ロックしか聴かなかったのがジャズ・ヒップホップ・ソウルへと広がり、ハリウッドからヌーヴェル・ヴァーグへ変わる。そういうのが一般的な大二病だと思うんです。俺も当然こういう流れにはなりました。恥ずかしながら。しかし「女は女である」を見て「アンナ・カリーナを紺野でやったらどうだ?後ろで踊ってる女は娘にして。ならジャン・ポール・ベルモンドは誰だ?んじゃ俺やる!ウヒャヒャ!」などという誤った方向のスノビズムを持っていたのが、普通の人とは違ったところなんじゃないかと思うわけです。
そういうハイソでスノッブな感覚と、下品でヲタ臭い感覚(これをキッチュと呼んではダメ。あくまで「下品でヲタ臭い」)。その相反する感覚。結局、この感覚が今の自分を形成するに至る最大の要素だったように思うんです。だからこそ「モーニング娘は偉大であった」という結論にならざるを得ないんですよ。そして俺の中ではその中心であった紺野あさ美はとてつもない偉人である、と言うことになるわけです。
まあ、きっと俺みたいな人は多いと思うんですよ。予想以上に。だからここ数年の文化史を振り返る時にモーニング娘の存在は外す事が出来ないと思います。真面目に。ものすごく真面目に。そして数十年後にも必ず当時の重要な文化的なアイコンとして語られる事になると思うんです。だから娘が最も面白かった時期に(この時期がいつかについてはヲタ論争になるからとりあえず深く考えないで下さい)、彼女たちを愉しめた事に幸せを感じちゃったりしてるんですわ、はい。だからそのきっかけを与えた紺野あさ美には感謝しなければな。



んじゃさよなら紺野。ありがと紺野。いつか一般人として会うことがあったら、そのときはセックスさせてください!><



はーい、ここまでの長文台無し!!!