ギャル曽根ファン日記 7/27 22:00「Boom Boom めッちゃマッチョ!レビュー」

Boom Boomめっちゃマッチョ!(初回生産限定盤)(DVD付)

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そもそも、このギャルルというグループは一つの不幸からスタートしている。辻希美という希代のポップアイコンをこのままスポイルするのは余りにもったいない、という決して少人数ではない人々の思いが作らせたグループだったはずだ。かつてハロープロジェクトの中核を担うユニットであった二人をそのまま抜き出して作った「W(ダブルユー)」の大きな可能性と、その可能性を追い越してしまった大量の目論み違い。そして完全に止めを刺したあのスキャンダル。そんな複雑な状況を経て、もう一度打って出ていこうという明確な意図を持ってスタートしたはずなのである。
しかし待っていたのは、辻希美をスポイルしてしまう事に抗う為に結成されたはずのこのグループを、辻希美自らの手でスポイルしてしまうという皮肉めいた不幸だった。
そんな不幸を抱えたまま、なし崩し的に安倍麻美を補充してふらふらと足元がおぼつかない中でスタートしたギャルル。だがその不安定さこそが、結果的にこのグループ最大の魅力になっている事に、一体どれだけの人間が気付いているだろうか?
彼女たちのデビュー曲である「Boom Boom めッちゃマッチョ!」は鈴木daichi秀行らしい、実に彼らしい、表層だけを掬い取っただけの薄っぺらい構造の曲である。それなりのフックを備えたメロディと、躍らせる為の最低限の仕事しかしないキックとベース。かつてダンスマンが大量に蓄えた音楽的知識を、時にマニアックに、そしてあくまでメインストリーム向けのポップネスを抱え込んだ形で、極めて有効にソフィスティケイトしたのとは大違いの、安易な世界観。本来、スタートからこんな不安定さを抱えたグループなのであれば、もっと強度を備えた曲を与えてしかるべきなのは明白であろう。にもかかわらずこのグループにはそんな配慮はなされなかった。だがそんな条件が、概して凡庸な形でフェイドアウトしていってしまうこういったグループと一線を画す主因にさえなっているのである。
その中心となっているのは他でもなくぁみみこと時東ぁみと、そしてそねねことギャル曽根様というアンビバレンツな二つの才能。簡単に言ってしまえば時東ぁみのプロフェッショナリズムとギャル曽根のアマチュアリズムの邂逅である。
このシングルの初回盤に封入されているPV映像作品を見ればその構図は明らかだ。時東ぁみのダンスや歌声、表情の作り方は明らかに自らが商業ベースのシステムに乗っかった「商品」である事に対しての自覚に溢れている。飽和状態でほとんど使い捨て状態となっているアイドル業界というフィールドに、メガネと言う武器一つを携えて挑んでいった歴戦の勇士としての経験値がそうさせているのであろう。
そして、何といっても、それに相反するギャル曽根のアマチュアリズムという名の得体の知れない存在感こそが、ギャルルというグループが特別な存在足り得る最大の要因である。
まず大前提として彼女は「何なのか」という事を考えた場合、結論としては「死ぬほど飯を喰うほぼ素人のかわいいお姉ちゃん」と言う他ない。だからエンターテインメントを提供するという分野としてはズブの素人と言っていいだろう。実際、歌声は思った以上に可愛いが声量は薄く素人の域を出ないし、ダンスもパラパラという素人でもそれなりに見えるスタイルであるが故に大きな破綻はないものの、大きなアクションが加えられて手の動きだけでなくなった場合は明らかに素人の動きになってしまう。おまけに前述の映像作品のメイキングでは金になる笑顔を振りまく時東ぁみの横で、居眠りまでしているのだ!(超かわいい!!)
しかしここで最初に立ち返ってみる必要がある。彼女は「死ぬほど食える」女の子なのである。これは「顔がかわいい」「胸がでかい」「スタイルがいい」「歌が上手い」「トークが面白い」などなど今までのアイドルに付加されてきた様々な要素の中において、極めて斬新で異色な要素であろう。まったく前例のない新たな可能性。言ってみればまだ誰も咀嚼仕切れていない、得体の知れない「異物」なのである。
一般論として、異物を魅力的な物として際立たせるに不可欠なのは、それと比較されるための相反する常識的で機能的に作られた物の存在である。ギャルルの場合は言うまでもなく、その役割を時東ぁみが担う事になる。彼女が恐ろしく機能的にアイドル的なアイドルを演出する事で、異物そのものであるギャル曽根を際だたせているのである。
誤解を恐れずに言えば、この役割は別に時東ぁみでなくても良いのだと思う(ギャル曽根は替えの効かない存在なのに比べて)。 ただ、これ以上のアイドルとしての機能性を発揮するのは、バランスの瓦解に繋がると言えるだろう。だからこそ、フレキシブルに何でも収まる時東ぁみがこの場合は適任であり、当初予定されていた辻希美という規格外のポップアイコンではなく、ほとんど空気に近い安倍麻美が補填されたのは(恐らく計算されていた訳ではないだろうが)極めて正しいのである。
また前述の通り、曲のクオリティが誰が歌っても圧倒的な強度を誇るまでに到底なっていないのも、奏功していると言えるだろう。欠落した部分が目立ち隙が多い曲だからこそ、ギャル曽根という稀代の才能を埋もれさせる事なく機能しているのである。

この絶妙なバランスに、私は今ある大きな期待を寄せている。それは「アイドルにおけるスカム」をギャルルが獲得するのではないか、という事である。かつて石川梨華が「理解して!>女の子」という奇跡的な曲に於いて完璧に披露してみせたあのスカムの精神を、今ギャル曽根―いや、敢えて曽根菜津子と呼ぼう―がもう一度ど見せてくれるのではないかという期待である。
彼女は石川梨華の様に破壊的な歌声を持っている訳ではない。ただし彼女には驚異的な胃袋がある。その胃袋の強度がおかしな方向にアピールされた時、新たな混沌が生まれるのではないかという期待である。石川梨華が「全力出してもこれしか出来ない」という意味でシャッグスが獲得したタイプのスカムを見せていたのに対して、「色々と異形なモノを盛り込んだ結果、最後にとてつもない異形が生まれた」という意味でレジデンツのそれに似たスカムを、ギャル曽根が獲得する可能性は大いにあると、私は考えているのだ。


あのジネディーヌ・ジダンが当初DFとして育てられていた事をご存知だろうか?
いつの時代も意図した所から外れた場所から大きな潮流は生まれてきた。ギャル曽根が食い尽くすのが大盛りのラーメンやオムライスだけでなく、メインとカウンターの間の微妙な位置に属する文化的な事象にまで及ぶ事も大いにありうる。心の底からこのシングルを聴いてそう思っている。

さぁ、ギャル曽根ちゃん!次は何食おうか?