リミッツ・オブ・コントロール

バウスシアターの爆音上映で鑑賞。これはもう100%間違いなく爆音で観て大正解だった。通常上映時に何となくスルーして良かった。Borisの音楽の、ブリブリと響くドローンと中性的なタムとキックの音は、爆音上映だからこその威力。いやあ、素晴らしかった。爆音上映ってこういうドローン系の音楽が強調されてる映画に似合うよな。「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」の前半とかまさにそれで、最高過ぎておしっこ漏れるかと思ったもの。あの映画はもう一度爆音で観たいなあ。オイルが噴き上がる時の音とか凄すぎだった。


内容的には、ジャームッシュの映画だから予想通り「よく分からん」って感想が多かったみたいだけど、今回のジャームッシュは最後に「NO LIMITS NO CONTROL」なんてご丁寧に説明してくれちゃってるくらいだし、すっげー分かりやすい話だよね。それに加えて、作中で唯一の日本語のセリフである「宇宙に中心も端もない」を加えたら尚更分かりやすい。何か分かりそうな顔して、実は「息子が誰かなんてしーらね!!」って投げ出した感のある「ブロークン・フラワーズ」や「デッドマン」なんかよりずっと分かりやすい。
これは自分の所在の話なんだと思う。何度も渡されて飲み込む暗号の書かれた紙は、座標軸が記されたものだろう。ミッションの達成のために、多くの人物がそのミッションを依頼した男をコントロールするための「リミット」としての座標軸だ。あと作中で何度も出てくる「2」っていうモチーフも分かりやすい。情報が一つじゃ位置は決まらないんだよね。つまりX軸の情報だけじゃ位置は決まらないけど、もう一つY軸の情報が与えられる、その二つが揃うことでやっと位置が確定するんだよね。緯度が0だったら地球を一周しちゃうけど、経度が与えられたら位置が決まるって事だよね。
グーグルの地図情報とかに代表されるように、「位置情報」ってここ最近で一気に色んな解釈や、利用の可能性、そして認識自体の多様性が爆発的に膨らんだ分野だよね。ジャームッシュの狙いはそこだったんじゃないだろうか。携帯電話を極端に嫌がるのは、仕事中に銃もセックスもいらないよ、っていうストイシズムの一環じゃなくて、携帯電話が持ってる位置情報(GPS情報)に対する拒否だったんじゃないかと思う。


「今自分がどこにいるのか」がデジタルに明確化されるのが普通になっている中、「今自分がどこにいるのか」という人間の生活にとって原初的なこの要素に対して、一度その認識を洗い直して向き合い、自分の主観と想像力という道具だけを武器に生きていくという事を、じっくりと再確認する作品なんだと思う。作中では、資本主義のモチーフ、権力・支配と被支配と言うモチーフ、科学と分子のモチーフといった、「確立された現代構造」が色々提示されてる。そういった構造に対するアンチの姿勢ってのは、やはりこの作品の大きなテーマなんだろうけど、その中でも「位置情報」ってのに対する提議を特に強調しているように見える。



しかしイザーク・ド・バンコレさんはものごっつい画になる人ですね。かっちょよかった。