「ジョニー・マッド・ドッグ」「ソウル・パワー」

  • 92 ジョニー・マッド・ドッグ

俺様採点:3
劇中で子供たちが武装し殺戮と略奪を繰り返す。だけど、そこには何の理由付けもされていないんだよね。貧困だとか、出生だとか、ましてやどんな政治がどうやって彼らを殺戮に駆り立てるのか、って事さえ明示されない。
ただし、劇中でハッキリしているのは、子供たちは誰かの思惑にただ愚直に従って行動しているだけであるから、その従う先がいなくなった途端に用無しの浮いた存在になってしまい、そして最終的に今までの蛮行のツケが自分に回ってくるという悲劇だ。つまりこれは子供の「ただ純粋に従順であるしかない」という愚かさと、それによって引き起こされる悲劇の映画なんだと思う。
この作品はリベリア内戦を実際に経験した元少年兵をキャスティングして、実際にリベリアに住み込んで撮影するなど、リベリア内戦をモチーフにしているのは間違いない。だけど、劇中ではリベリアという名前は一度も出てこないし、少年兵たちの憎敵である大統領の名も架空のもの。監督のインタビューを読むと、「リベリアをモチーフにしているけど、世界中のどこでも起きうる、言ってみればある種普遍的な現在進行形の悲劇を描いた」って事らしい。なるほど、確かに状況を限定することなく「誰かの思惑に誘導されてしまう子供たち」に焦点を当てて描いたのはその意図を昇華させることに成功しているし、その少年兵たちの演技の素晴らしさと、戦場カメラマンを撮影監督に迎えた事による画の強さもそれに大きく寄与していると思う。そして音楽(というか「音」)の素晴らしさも特筆もの。これは来年の爆音映画祭でかかっていたら映えるだろうなー、と思う。

ただ、だ。この映画は後半に致命的な蛇足を付け加えてしまっていると思う。それはズバリ言ってしまえば、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの「I have a dream」とエンドロールで極めて印象的に使われるニーナ・シモンが歌う「ストレンジ・フルーツ」の二つ。
これ、もうダイレクトに「アメリカ」じゃないか。もうこのモチーフを出してしまった時点で、リベリアという国の成り立ちの歴史を喚起させるわけで、その時点で「リベリアの映画」になってしまっているんだよね。せっかく「子供の普遍的な、現在進行形の悲劇」を描いたのに、あれでリベリアに限定されてしまっているんだよね。
そしてもう一つの問題は、その二つを出すことでどうしても「アメリカに対する批評性」ってのが発生するわけじゃん。だけど劇中では全くアメリカの影響なんて描いてない。リベリア内戦ってアメリカの解放奴隷の子孫の独裁政治とそのレジスタンスの衝突に端を発するものだけど、その流れは描いていないのだ。なのに、最後に「I have a dream」と「ストレンジ・フルーツ」が挿入されることで、そこだけが大きな異物として残ってしまう。それまでは子供たちの悲劇に集中して描いてきたのに、最後に余計なものが飛び込んでくる。まさに蛇足。いい映画だと思うけど、そこだけは大いに萎えてしまった。

  • 93 ソウル・パワー

俺様採点:4
爆音映画祭@バウスシアター開催!という事で早速行って参りました。
まずこの映画の嫌いな所から言っちゃいます。ザイールとか、当時の状況とかはもういいから、もっとライヴパフォーマンスシーンに時間を割いてくれよ!!!って事に尽きるね。モハメド・アリが準主役として出てくるけど、結局キンシャサの奇跡の話は最後にテロップで出るだけだし、当時の状況なんて時間を割いたわりにはとても薄い。ライヴシーンは本当に素晴らしいんだよ。本当に一つも外れがない。全て素晴らしいんだ。特にダニー“ビッグ・ブラック”レイのコンガの演奏なんて凄すぎて鳥肌が止まらなかったもの。だからこそ、本当にそこに時間を割いてくれない事に大きな不満が残る。
だけどさ、そんなの最後に出てきた人のライヴパフォーマンスを見たらどうでもよくなっちゃった。いい?言うよ、言っちゃうよ?この映画の最大の爆心地。

ジェームス・ブラウン、す!!!ご!!!す!!!ぎ!!!!!!!!!!!!
なんかもうねえ、かっこいいとか、凄いとか、ファンキーだとか、そういう形容詞が全部陳腐になっちゃうくらいとんでもない。みんなさ、神って言葉簡単に使いすぎだよ。安直に使っちゃだめだよやっぱ。その言葉はこういう人に対してのみ使っていい言葉なんだよ、絶対。
俺は決して熱心なJBファンって訳じゃないから、そんなに大量に彼のライヴパフォーマンスの映像を観てるわけじゃないけど、少なくとも俺が今まで見た中では最強。もっとも、でかいスクリーンで爆音で観たってのもあると思うけどね。
しかしこれ爆音で観るしかないでしょう。今のところ、これって爆音上映の予定って今日だけだったっけ?もったいないなあ。これは絶対に爆音で観るしかないよ。