「春との旅」「告白」

ずっとサッカーばっか観て来て、映画を観る余裕なんてなかったんだけど、やっとここ2日で空きが出来たので。

俺様採点:4
この映画について考える時、何はともあれ最後に爺さんが「死ぬ」って事の意味だよね。安易な「死亡オチ」にも見えてしまうこのラストについてだ。
色々考えたんだけど、俺が思うに、仙台に行く直前に姉ちゃんに説教されてから、この爺さんは本気で「捨てられよう」としたんだと思う。春を自分から開放しようと本気で考えたんだと思う。仙台に行った途端に、急に幼稚な行動が目立つようになったのは、恐らく意図的。だけど、春は全く見捨てようとしなかった。それどころか、爺さんとの生活について前よりも深く考えるようになった。それを心から喜びつつも、それでも春を開放しなければならなかった。ゆえに、最後の手段である死を迎える事になったのだと思う。そう考えれば、このラストは至極正しい。美しいラストだと思う。


・・・と、ちょっと考察なんかしてみちゃったりしたんだけど、そんなの正直どうでもいい!もうこの映画のキモは一つしかない。そうだ!!徳永えり萌えええええええええええええ!!!!!って事だ!!てか萌え、ってもう死語?w
爺さんのガニマタが移ってしまったと思われる、あのひどいガニマタと、そのガニマタのままトコトコ走るあの姿!そしてあのダサイスカートに、本当に信じられないくらいダサい赤のジャンパー。ジャンパーだぜジャンパー。20歳そこらのおねーちゃんが着る服じゃねーよ!だっせえええええ!!!
そしてそのジャンパーの下に着てる多分手編みの黄色のニット。ていうかセーター。あれさ、普段から着てるんだけど、宿に泊まってパジャマに着替えた時も着てるんだよね。そう、つまりこのねーちゃん部屋着を親戚のうちに行く時にもちゃんとした服装として着ちゃってるんだよね。もう完全に20歳の女の子がすることじゃねーよ。猛烈な処女臭がするもの。「いつか大切な人に出会ったら、おじいちゃんを大切にしてくれる人じゃないとイヤ」とか、そういうのも処女丸出し。
でもそれを徳永えりがやると、猛烈に「カワイイ」んだな。愛しいんだ。「春、東京編」とかで次回作を作ってくれないかなあ。完全なる徳永えりのアイドル映画として撮っちゃえばいいさ。
という訳で本年度の邦画最優秀女優賞は、松たか子でも満島ひかりでもなく、俺は徳永えりを推します。仲代達矢が、大滝秀治が、菅井きん小林薫が田中裕子が淡島千景柄本明が美保純が戸田菜穂香川照之が、それぞれの役者としての実力を一人残らず遺憾なく発揮するという、それは恐ろしいほど濃密な作品中にあって、徳永えりのその存在は全く薄れることなく輝いているもの。凄いよこれは。

  • 111 告白

俺様採点:5
びっくりした。これは凄いよ。今年の日本映画を考える時に絶対に外してはならない大傑作。
中島哲也という人は、「映画監督」として非常に賛否両論ある人だと思うんだよね。よく言われるのは「この人の作品は映画じゃなくて、ひとコマひとコマが画にならなくてはならないミュージック・ビデオの数珠繋ぎじゃないか」ってヤツ。うん、確かに。そういわれるのは良く分かる。「嫌われ松子」なんかはそれが顕著に違和感として残ってしまう映画だと思う。だけどパコや下妻物語は元々ベースとなる話からしてファンタジーの要素が強いので、これはこれでいい方向に転がっているとは思うんだよね。だから変な話、典型的な「条件付き賛成」の監督だと思ってたんだよ。
で、今回は今までにないくらい「現実的」な(まあ後にこれは違うって気付くんだけど)ネタを選んできた。これがどうなるかと思ってみたんだけど・・・・。結論。大成功!どっかーん!!!!!

これさ、要は「シェルブールの雨傘」なんだ。血と憎悪と邪悪な意図に満ちたシェルブールの雨傘なんだ。つまりこの監督は106分間のミュージックビデオを作ってしまったんだな。「ミュージックビデオの数珠繋ぎ」じゃなくて、作品そのものをミュージックビデオの超絶大作として提示してきたんだ。
劇中、ずっと音楽が鳴り続けてる。独白のシーンでも、台詞のぶつかり合いのシーンでも、どんな状況でも、ずっと後ろに通奏低音のように音楽は鳴り続ける。その音楽が途切れるのは重要なセリフやシーンを強調する時だけ。まるで「音楽が止まってしまう」イコール「死」である、クラブにおけるDJみたいな、言ってしまえば強迫観念的な音楽。borisから(しかしボリスって本当に映画との融和性が高いよなあ。「リミッツ・オブ・コントロール」とか素晴らしすぎるもんな。)、KC and the Sunshine Bandから、トムヨ−クから、挙句の果てにAKB48まで登場してきて、途切れる事がない。
そのシームレスな音楽に合わせるかのように、中島哲也映画作家としての意匠が存分に投入されるんだよね。そこに「嫌われ松子」のような、その意匠がブツブツと途切れて浮かび上がってくる違和感は一切なくて、画の一つ一つが図太いグルーヴとして収斂して、ガッチリと屹立して、画面を制圧していくんだよね。見ている間、ずっと圧倒されてた。これは凄いものを観てしまったというビリビリとした感動がずっとあった。
あと作品全体を支配する「薄暗い青」っていうシンボリックカラーも、そのグルーヴを成立させるのに一役買ってると思う。ベルイマンの「叫びとささやき」の赤みたいに、画面に一つの流れを作りつつ、ちょっとずつこっちの精神に浸透してくるあの「色彩の暴力!!!」(C)酒留父字郎


で、だ。それでこの話の内容は?って考えてみるんだけど、どう考えても結論は唯一つ。「別にねーよ」って所に収まっちゃうと思う。
この映画で描かれる「復讐に関するモラル・インモラル」だとか「命についての考察」だとか、「母親の愛」とか「子供の残酷さ」とか、そういうテーマについて、多分中島哲也は実はほとんど興味がないんだと思う。だって一見リアリズムとの真摯な対話のフリをしてるけど、どう観てもこれは突拍子もないファンタジー性を湛えた「カタルシス満載の復讐譚」そのものだ。それだけをやりたかったんだ。自分の映像作家的意匠を暴れさせる為に、この作品を原作に選んだんだと思う。この映画におけるありとあらゆる「意味」は、ストーリーテリングを繋いだり作品の主張を行うものじゃない。これは映像を動かすトリガー、そして観客にその「意味」と実際の映像のイメージを喚起させて、力技でコネクトさせて、物語に引き込んで行く機能性を期待したモノだと思う。この映画の意味を真面目に考えれば考えるほど、きっと奇妙な地点に置いてけぼりにされちゃう、そんな意地悪な悪趣味映画だと思う。
だから俺はこの映画の内容、特にさっき書いた命が云々とか、そんな議論に参加する気には毛頭なれない。だって、中島哲也は最後に、ものの見事に「告白」するじゃないか。「なーんてね」って。



なので正直告白すると俺は原作未読なんだけど、たぶんつまらないんだろうなあ・・・って思うww読んでないのに酷いけどwww
あ、だからさっき「シェルブールの雨傘」を引き合いに出したのもそういうこと。あの作品の内容って「戦争で好きな人と別れちゃったわ!その戦の間に二人の心は離れて、私は別の男に行ってしまったのよ・・・ああ、切ない」っていうイヤになるくらいドベタな話じゃないか。あの話を100%全部ミュージカルという特大のアルコール抜きで、シラフでやったら相当な凡作だったと思うぜ。この作品もそういうこと。リアルとファンタジーの間のどちらにも着地できない、フワフワしたストーリーであることをいい事にやり放題やった、人でなし中島哲也の意地悪な106分間のミュージックビデオだ。復讐って気持ちいい!どっかーん!!!!!っていう変態映画だ。
しかしそれにしてもこんなド変態映画が興行収入4週連続1位の日本って凄いよな。国家総キチガイ化だ。



なーんてね