貴章いってらっしゃい!


矢野 貴章選手 ドイツ・SCフライブルクへ移籍のお知らせ

「初めてビッグスワンのピッチに立った時のサポーターのパワー」
「なかなかゴール出来ず、やっと決めたアウェー甲府戦」
「最終戦で勝利し、残留を決めたガンバ戦」
「スタンドに人文字でハートの中に‘11’と描かれたこと」
「約1年振りにホーム、ビッグスワンで勝った横浜戦」
アルビレックス新潟の選手としてワールドカップ南アフリカ大会のメンバーに選ばれた5月10日」

すべて皆と一緒に作ってきた、忘れることのできない大切な思い出ばかりです。


それじゃ足りないぜ。



「05年の柏×甲府入れ替え戦で走り回る貴章を見て、10歳若い優作だと思った事。俺たちに必要なのは矢野貴章なのではないか?と思った事。そして本当に加入が決まって驚いた事」
「そして伝統的に戦術上の中心になる日本人FWが背負ってきた11を身につけ、4年後に史上最も11番らしい選手になっちゃう事」
「06年2節のテラのゴール、つまり淳さんが率いる新潟の初ゴールが貴章のクロスから生まれた事」
「試合の終わり間際、完全に肩で息をしているのに全く彼を交代しなかった淳さんと、それでも走り続ける貴章」
「絶好調だったエジが怪我をしてしまって不安視されていた中、鷹とのコンビで見事勝ち点をしっかり伸ばしてくれた姿」
「アトムにスタメンを奪われた時期と、アトムと交代して入った後に解説のヒロミにボロクソ言われてた事」
「久々にスタメン復帰を果たしたアウェイ清水戦で、角度のない所からゴールを決め、それが後々彼の代名詞みたいになる事」
「背番号66で、代表に予備登録されている事が分かって新潟サポがみんな『オシムの慧眼すげー!』ってなった事」
「06年が終わる頃にはすっかり貴章がスワンでボールを持って前を向くと、縦へのドリブルを求める『いけー!!』の声がどかーんと響くようになってた事」
「07年の開幕前のペルー戦。高原や中村俊輔が久々に帰国して超満員の日産スタジアムで、背番号20で代表デビュー。そして新潟史上初の『現役日本代表』になった事」
「07年の開幕戦に角度ゼロのボレーを叩きこんでTBSだかに『新潟のファンバステン』とか言われた事。でもファンバステンみたいに怪我しねーよ!!点もそんなにとらねーよ!!って思った事」
「おにぎりを15個食った事」
「オフィシャルでチーズケーキバーをパクパク食って宣伝してる姿」
サニーサイドアップと契約して色んな憶測が飛んだ事」
「ホームガンバ戦、爆発的なゲットゴールの声と逆転のヘッド」
「アウェイ磐田戦、淳さんの『お前らサッカーやめちまえ』直後の起死回生の同点ゴール」
「ホーム名古屋戦のゴール後、カメラに向かって『頑張ろう新潟』のワッペンをアピール」
「ブログを始めたら、2回目の更新が1ヶ月後で1年後には芸風も激変」
「欧州遠征のスイス戦で代表初ゴール」
「岩政をぶっちぎったアウェイ鹿島戦のスーパーゴール」
「死ぬほど苦しかった08年の開幕4連敗。そんな中でも一人気を吐く貴章」
「5節の柏戦の前半、ずっと右サイドで守備に奔走する姿。そして重要な勝ち点1ゲット」
「貴章絡みで3人退場の京都戦」
「真夏の4連敗を止めるホーム柏戦のゴールと勝利」
「4か月で永田さんとの通話履歴が100回に到達」
「最終節の伝説のうっちーのゴール。アレと貴章しか計算できるファーストトップがいないきつすぎるシーズンを戦い抜いた、印象的な安堵の表情」
「そして右ウイングで才能が爆発した09年の快進撃。ナチュラルボーン右ウイングの本領発揮」
「彼に対面するかわいそうな左サイドバック。時には前半で引っ込んでしまう選手も」
「首位から3位をウロウロし続ける快進撃と、明確に標準が合わされる『ACL以上』」
「そんな中の降って湧いたような移籍話。必死にスペイン語を翻訳する新潟サポの狼狽」
「そして貴章の決断。残留。『新潟でワールドカップ出場を目指す』」
「勝てないホーム。山形戦での貴章の致命的なボールロストと失った勝ち点2」
「ワールドカップ出場決定時に、ピッチに立っている貴章」
「淳さんのラストゲーム。後半ロスタイムの魂のヘッド」
「ヨガオーナー就任。貴章の変態フィジカルとヨガの親和性に誰もが納得」
「黒崎体制での迷い。その最たる犠牲者であった貴章。ゴールが生まれない日々」
「ワールドカップ出場に向けて、最後のチャンスであるセルビア戦に召集される」
「一気に持ち直す黒崎アルビと、その連動性を最前線で支える貴章の献身と柔軟性」
「そして運命の5月10日。ワールドカップの80年の歴史に始めて「アルビレックス新潟」の名を刻んでくれた貴章」
「日本中のアパシーを吹き飛ばすためのカメルーン戦。試合を終わらせるタスクを担って投入される背番号12」
「チームの快進撃と、リーグを席巻する新潟の前4人」


そして、今回のお別れ。



ワールドカップのスパンがそうであるように、サッカーにとって4年って言うのは一つの時代の単位だと思う。新潟にとっては06年からの4年と今年は、間違いなく大きな変革期だった。J1残留を目標とするチームから、あくまで能動的に上を目指すチームへ。全く未知の領域を切り開いていくチームへ。
その中心にいたのは、一人は淳さんだろう。そしてもう一人は、間違いなく矢野貴章だ。
全てのシーズンで出場停止の1試合以外、全ての試合に出場するという圧倒的なタフネスと、「走る事が生き延びる事」という新潟のサッカースタイル自体を象徴してしまうようなプレースタイル。何度もチームを助けてきた献身と、印象的なゴール。常に戦術上の中心であり、変わっていく新潟の象徴だった。
そして日本代表という面から、アルビレックス新潟というクラブの存在や価値自体に、次々に新たな領域を切り開いてくれた。この領域は、間違いなくこれからの新潟の財産となるものだろう。というか、財産にしなくてはならない。



淳さんと貴章が去った事で、アルビレックス新潟の一つのサイクルは終わったのだと思う。でもそれを財産にしていかなくてはならない。そのためには勝ち続ける事だ。もっともっと強くなる事だ。さしあたって言えば、首位と7差、2位と2差の今、次の試合に勝利なくてはならないだろう。それが貴章に対する最大限のリスペクトの表現方法であるはずだ。



ありがとう貴章。行ってらっしゃい貴章。俺たちはもっともっと強くなるぜ。次に会うのは、クラブワールドカップかもしれないね。そうなるように、互いに強くなっていこうぜ。


じゃあまた!