プール、15年ぶりの背泳ぎ

今通ってる5つ星ホテルのジムにはプールが併設されている。このジムに通い始めて2ヶ月ほどになるのだけど、せっかくプールがあるにもかかわらず、水着がなかったので泳がずに過ごしてきた。そこで、日本に帰っている間に、本当に久々にスポーツ用品店に行き(基本的にやる方のスポーツなんて嫌いなので、行く機会がないのです)水着とキャップとゴーグルと、ついでに耳栓を買ってきたのだ。
しかしやる方のスポーツは嫌いな自分でも、こうやって道具を購入すると僅かながらでもウキウキする感覚になるのだという事実は、自分にとってはちょっとした驚きだった。小学生の時に新しい運動靴を買ってもらった時、野球のグローブを買ってもらった時、剣道のカーボン製の竹刀を買ってもらった時。いずれの場合でも全然ウキウキしなかった。むしろそれを手にしたことで、これからそのスポーツに取り組まなくてはならないという強迫観念の類に足を掴まれるような気がして憂鬱だった記憶のほうが、明らかに鮮明に残っている。竹の竹刀から、カーボン製の竹刀に変わるタイミングというのは、剣道をやっていた人間にとってはちょっとしたイベントなのだ。だけど全く心がときめかなかった。なんせ剣道は親が強制的に教室に通わせていたので、剣道に関わる何もかもが嫌いだったのだ。
余談だが、小学校6年の春まで続いたその憂鬱な剣道教室の体験は、東京で開催された大会への出場、エキサイティングな東京の街を闊歩したり電車に乗ったりする経験、そして何よりその日の夜に、噂にだけは聞いていたギルガメッシュナイトという番組(新潟ではテレ東は観れないのだ!)との邂逅と、よりによってその日の特集が「おっぱい」だったという事実によって、全く変わってしまった。本当に変わったのだ。それまでそこまで仲良くなかった剣道教室の男子どもが、あの東京への旅、そしてギルガメッシュナイトの夜で大きく変わったのだ。互いに退屈な剣道教室での数時間を、皆で楽しんで乗り越えていこうという結束が生まれたのだ。そう、それはバディになった瞬間だったのだ!この話はなんだか久々に思い出したけども、「おっぱいは偉大である」という自分の中で未来永劫揺るぎない信念の芽吹きは、ここだったのかもしれない。
話を戻そう(おっぱいの話は自らを厳しく律しないと止まらなくなってしまう)。水泳道具一式を購入したことで生まれたワクワクは、実際に着用し、プールに入った瞬間に一気に爆発した。楽しい!水の中楽しい!思えば、プールは高校一年の時に授業で入ったきりその後一度も入っていなかったし、海で泳ぐのも嫌いなので(またおっぱいの話になりそうな気がしましたが、自らを厳しく律します)、15年ぶりくらいだったのだけど、小学生の頃にあれだけプールが好きだった理由を思い出した。あの喜びの感覚がまた自分の中に満ち満ちて行くのがわかった。そして30歳にして初めてわかったのだ。自分が唯一心の底から好きだと言える「やる方の」スポーツは水泳であると。サッカーさえもそのカテゴリーに入れることは出来ないのだと。
そして、あることを思い出した。自分がスポーツの大会において優勝した経験はただ一度だけ、小学校4年生の時に地域の水泳大会で背泳ぎ100Mで1位になった時だけなのだ。そんな事を30歳にして、水の中で思い出したのだ。何故忘れていたのだろう。恐らく、自分がスポーツの分野でトップになることなどありえないという、常識や前提が自分の中で屹立していて、その影に隠れてしまっていたのだろう。なぜならその優勝以降、一度も勝っていないからだ。大量の敗北の中に、たったひとつの背泳ぎの勝利は埋もれてしまっていたのだ。
だから泳いだ。クロールは50Mも泳いだらゼーゼー息をするような情けない状況だったけど(小学生の頃は誰かが止めるまで延々泳げたのに!)、背泳ぎはスイスイと100Mを余裕で超えていったし、バタ足の感覚、腕の入水の感覚、腕の全てで水を掴んでグッと押す感覚、鼻に水が入った時にそれを口へと流しこむ感覚、そういった背泳ぎを構成する要素を思い出すたびに、ドンドンとスピードが上がっていくのが分かって、楽しくて楽しくて仕方なかった。屋内のプールで天井には鏡があるので、スピードが上がるとよく分かるのだ。だからひたすら泳いだ。泳いで泳いで泳ぎまくった。ふと思い立って、折り返す時にバサロをやってみた。子供の頃に一世を風靡したバサロ、そう、鈴木大地のあれだ。バサロは本当に速い。水中で両足を動かすたびにグイグイ進む。楽しい!そして3回目くらいの折り返しで、今までで最も速いバサロを目指して一気に足に力を込めた。
その時だった。右足のふくらはぎにとてつもない痛みが走った。奴は夜中にしか襲ってこないはずだった。しかしバサロは奴を呼び出す力があったのだ。攣った。恐ろしく攣った。あまりの痛みに、うぅぅわっはーんん、みたいな情けない声が出る。ふくらはぎを触ってみると、コンクリートのように硬くなっている。水中で楽な体勢を必死に探す一方で、溺れてるように見えたら監視員が飛んでくるかもしれないし、そうなったらとてつもなく格好悪いという思いもあって、自分でもよくわからない動きを水中で繰り返した。きっと監視員が飛んでくる方が遥かにマシなほど、その時の自分の姿は滑稽で間抜けだったと思う。
思えば昔は水中で足を攣ることなんてなかった。いや、そもそも運動をして足が攣るという経験をほとんどしたことがない。足が攣るのは、夜突然やってくるものでしか無いと思っていた。しかし目の前にあるこの猛烈な痛みと、運動をする経験の乏しさへの若干の後悔と、何より15年という月日の中で、自分が確実に老いているという事実が白日の下に曝されたことに対する諦観と冷笑は、とても生々しい感覚として水中に漂っていた。せめてかっこ悪くならないようにと、誰にも気付かれないようにそっとシャワー室に逃げ込んで、足が攣った時にサッカー選手がよくやるポーズを取ってみた。指先が足に届かずに、また憂鬱な気分になった。