ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

1981年4月〜1982年3月生まれ。これが俺の同年代。
団塊の世代、バブル世代など色んな世代がある中で、俺が属してるのは「ポスト団塊ジュニア」って事になるらしい。wikiによると「1975年以降、1983年までに日本で生まれた世代のこと」であり、「ギャルファッション・ストリートファッション・腰パン・B系・ルーズカジュアル・裏原宿系といった現在も定番となっているファッションの担い手となり、現在の若者文化に直接つながる風俗を生んだ世代」であり、携帯電話の黎明期を支え、普及のきっかけの担い手となった世代という事らしい。
確かにそうだ。「なんだ、大人は俺たちが何を消費するかに左右されてるんじゃん」って感覚をどこかに抱えながら育った世代だったと思う。それと間違いなく、歴史上最も女子高生が力を持った世代だったと言えるだろう。
つまり、80年代の酔狂とバブルの熱病のせいで思考を停止していた文化的な部分を突き動かした世代だったと言える思う。そういう意味では、バブルの時代とは対極の経済的な喪失感を肌でリアルに感じていた世代でありながら、実際はなかなか派手な世代だったのだろう。
しかし、そんなポジティヴな要素を持っている一方で、フリーターとか、ひきこもりとか、ニートとか、そういう言葉の源泉はこの世代だったとも言えると思う。それぞれ元々あった言葉なのだけど、それをネガティヴな意味で頂戴してしまった世代。そんなのに象徴されるように、どこか喪失感を抱えた世代。もちろん、俺を含めて。
新世紀エヴァンゲリオン」はそんな世代がみんな10代だった1995年に生み出された作品である。この作品が、この世代の多くの人にとって(前述のギャルファッション・ストリートファッション・腰パンの人達には無縁かもしれないけどね)特別な存在だったのは間違いない。それは、アニメを普段全く見ないって人たちにも(俺もこの人にあてはまる)
碇シンジはある人にとっては鏡であり、ある人にとっては捌け口であり、ある人にとっては嘲笑の的だった。でも、共通してたのはみんなこの作品に飲み込まれ、どっぷり浸かってしまっていたって事。そして自分達の世代を代表する未曾有のカルチャー・アイコンとして、ちょっとした誇りみたいなものも感じていた所があったと思う。次第に「社会現象」なんて冠が付けられ、ワイドショーに取り上げられ、新聞に取り上げられ、週刊誌や文芸誌にも取り扱われる事になった。そんな「大人までもが大騒ぎしてる」って状況に興奮を禁じえなかった人はきっと多かったはず。前述の「なんだ、大人は俺たちが何を消費するかに左右されてるんじゃん」って感覚。大人たちを踊らせ続けていた「女子高生やストリートの兄ちゃんたち」になれなかった人たちは、エヴァがその感覚を消化させてくれる格好の存在になっていた部分があると思う。
実際、俺も劇場版を観に行って上映が終わった瞬間、後ろの見知らぬオヤジが「なんだこりゃ訳分からんぞ!!」って唸ったのを聞いて、ほくそえんでいたタイプの人間だ。大人が大騒ぎしてるのが愉快で仕方ないと思うと同時に、「大人に分かるかよ」って拒否感も感じるという感覚。きっと、これは多くの人にあったと思う。なんだか意味はよく分からないけど、心の奥を攻め込まれている事だけははっきりと分かるこの作品の特性上、各人それぞれに解釈と消化の仕方があって、個人的な思いをそれぞれ抱えていただろうから、そんな思いも強かったのだろうと、今になれば思う。
そして俺の世代。1981年4月〜1982年3月生まれの世代。14歳の少年少女だけが世界を救えるって内容のアニメの直撃弾を、よりによって14歳の時に受けてしまった世代。一番感化されやすく、一番危険な時期に、同年代の奴らが苦しみぬく内容の作品を目の当たりにしてしまった世代。それだけに、この作品に対しての思いが一際強かった人間が多かったはずだ。そして、俺も間違いなくその一人。
ここからはそんな俺の個人的な極論になってしまうけど、さっきのひきこもりだの、フリーターだの、ニートだのって言葉をこの世代が頂戴してしまった、その原因の一つはエヴァにあったのではないかと思うのだ。
だって、エヴァは結局完結してないから。それぞれが煮え切らない思いを、とりあえず自分なりの解釈という形でそれぞれ昇華させているだけだから。そして何より、結論を見つけに行った劇場版の内容が、「見に来てるお前ら、エヴァに依存するな」「見に来てるお前ら、そんなんでいいの?」そして挙句の果てに「気持ち悪い」だったから。
そんな途中で無理やり行き先を失わされてしまった熱狂を心の底に溜め込んでしまっていたのが、いろんな部分で影を落としているって気がどうしてもしてしまうのだ。もう一度言うけど、これはあくまで俺の極論だけどね。
で、そのちょっとしたしこりが心の底にへばりついたまま、それなりの大人になった2004年。エヴァの10周年記念プロジェクトも思いつめる事無くへらへらと楽しめるようになってた2004年。NHKの「トップランナー」に出演した庵野秀明が語っていたのは「結局、エヴァは衒学的なモンなんです」って事。そして「劇場版はエヴァに依存する人たちに水をかけて正気に戻らせようとした」って事。正直、それは俺がずっとエヴァという作品に関してどこかで思っていた事だったので、「ああやっぱりね」って苦笑するしかなかったのだけど、同時に「これが庵野の口からはっきりと聞けた以上、もう完結させてもいいかな」なんて思ったのだ。
だからこそ、庵野エヴァの新劇場版を作ってちゃんと完結させるってニュースを聞いたときは、素直に嬉しかった。物凄く嬉しかった。で、今日バウスシアターで観た10年ぶりの新作「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」を観てその思いは爆発した。
結論から言おう。最高だった!!!!!!
上映が終わって客電が点いた瞬間、一緒に観ていたベーシストに「いいじゃん!これいいじゃん!」って思わず興奮しながら叫んでしまった。それほどに、この作品は素晴らしかった。
最初はエヴァファンがオリジナル作品と違う部分を見つけてハァハァ楽しむための作品じゃないの?なんて不安が一瞬頭を過ったのだけど、新たに挿入されたシーンが悉くストリーテリングを円滑にする為のシーンだった事で、庵野が明らかにこの物語を完結させようとしているって意図が見て取れた。そして画の美しさとダイナミズム。最初CGを駆使すると聞いた時はちょっと微妙な感じもしたのだけど、それは大間違いだった。CGで描かれる爆風や爆煙の力強さ。そして第三新東京市の地下から生えてくるビル群の美しさと豪壮さ。それが「あなたが守った街よ」の説得力を高める。
そして何と言ってもほぼ100%書き換えられたヤシマ作戦。この映画の文句なしのハイライトであるヤシマ作戦。素晴らしかった。まだ観ていない人の為に詳細は割愛するけど、「サービスサービス」精神満載のカタルシスの嵐。ちょっと過剰なシンジへの期待感の描写も、この流れの中ならそのカタルシスのための振り幅として機能していると思えるし。
そして宇多田ヒカルのエンディングテーマが終わって(思えば彼女の才能を発見したのも俺たちの世代だったよな)、いつものテーマとミサトのナレーション、そしてサービスサービスの予告。完璧!
この後2年近くをかけて完結編まで辿りつく予定みたいだけど、とりあえず言いたい事は一つだけ。
庵野、思う存分エヴァにケリを付けてくれ!!!!!以上!!!