パンズ・ラビリンス

これはファンタジーでは一切ない。ファンタジーに逃げるしかなかった少女の話だ。もしこれがファンタジーらしい展開が乏しい事を根拠に批判する人がいるなら、それはただの平和ボケしたメデタイ脳みその持ち主ですね、って言うしかない。
これはファンタジーに逃げるしかなくなった人間に対する共感の提示であると同時に、宣戦布告でもあるのだと思う。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」なんかもそれだよね。俺はあの映画大好きなんだけど、あの作品の批判で最も多いのは「救いのないラスト」ってヤツだろう。だけどあれは「救いがない」どころか、もはやハッピーエンドだと思うんだ。ただし、セルマ個人だけにしか機能しないハッピーエンド。あれはファンタジーに逃げるしかなかった彼女の中の「ファンタジーの完結=息子の手術の成功を見届ける」を目の当たりにして終わるんだ。全てをファンタジーへの逃避と息子の為に捧げた馬鹿な女の、その人生の達成の瞬間と共に幕が下ろされるんだ。
この映画のラストもそうだと思う。あれは彼女が作り出したファンタジーの完結に過ぎない。痛々しい現実は、確実に彼女の隣に横たわってる。
彼女はあの閉鎖された空間からの逸脱を、ファンタジーの世界への旅立ちに求めた。この作品のファンタジーパートは全て彼女の理想、妄想が作り出したものだと思う。外的な要素なんかじゃない。彼女の内面そのものだと思う。
その証拠に、この作品のファンタジーパートは、あの閉鎖された半径一キロの範囲、つまり彼女が動きを許された範囲の中から全く出ていない。あの息苦しい世界の中で、彼女が手を伸ばす事が出来る精一杯の範囲でのファンタジーでしかないのだ。冒頭で「まだこんな絵本読んでるの?もうそんな歳じゃないでしょ」って母親にたしなめられるシーンがあるけど、思えば彼女のこの「空想癖・ファンタジーへの逃避癖」に対する伏線だったんじゃないかと思う。



だから思うんだけど、ファンタジーって必要なものなんだよね。必要としている所に、しっかり与えられるべきものなんだ。ファンタジーは大量生産・大量消費されやすいものになってるけど(80%は例のネズミ軍団のせい)、この事実だけは見落とされちゃいけないと思う。