「冷たい熱帯魚」「女獄門帖 引き裂かれた尼僧」

俺様採点:5
文句なしで凄まじい大傑作。1秒たりとも退屈にならない、ってかなりようのない異常な世界。「愛のむきだし」って結構ぬるかったんだなあ、なんて事をふっと思ったりするほどの、全く容赦しない血と肉片と出刃包丁とパンチとおっぱいが飛び回り、ついでにブラウン管テレビ(地デジ化する今年、最後の大仕事!)やボールペンまでもが人体をぶっ壊していく、完全なるエロとグロの世界。実録犯罪モノとしても一級品だし、圧倒的な悪が普通の人と観客側の悪意をも抉り出して「ほら、お前だって心の中には悪がいっぱいあるじゃねえか?だろ?」という事実を突きつけてくる構図を持った映画としても一級品だ。そしてここが最も重要だと思うんだけど、何より笑える映画、そう、コメディとしてもとんでもなく優れた作品なんだよね。だって俺、鳥肌と笑いが止まらなかったもの。
話の構造としては結局のところ、「ぶっ壊れた家族と、その解体・再構築」という、いつも通りの園子温。これについては別段言う事もない。いつもそう。今回はぶっ壊してばっかりに見えるけど、「人生は痛いんだよ!!」こそが社本なりの再生の道だったんだろう。ただし、自分の代ではなく娘に引き継ぐ形でね。ひっくり返されちゃったけど。
そしてこの作品の中心は、悪はいつだって傍らにあるものであり、その悪が普通の人を侵食した時に、こうも見事に普通の人に見える人間は心の中の悪を抉り出されてしまう、って事だ。社本だけじゃなく、見てるこっちの心もね。「ほら、お前が今立ててる鳥肌、それは恐怖の鳥肌か?違うだろ?サッカーでスーパーゴールが決まった時の鳥肌と同質じゃないのか?」ってね。そういう園子温の意地悪な挑戦だ。
で、この悪について考察はいっくらでも出来そうなんだけど、それよりこの映画の最も特筆すべき部分って、「文句なしで笑える」って事だと思うんだよね。テアトル新宿は何度も爆笑が起きてたし。実際俺も何度も爆笑したけど、この笑いは一体なんなのか。人体を丁寧に細かく切り刻んでる阿鼻叫喚の血の海を目の前にして笑えるのは何故か。妻に対してレイプまがいのセックスを強要してる最中、娘に左フックをお見舞いするシーンで爆笑できちゃうのは何故なのか。これは単純に俺がゴア描写にある程度耐性があったからとか、ましてやテアトル新宿にとんでもないサイコ野郎が大集結した、ってわけではないのだ。
まー笑いが起きる構造について糞真面目に考えるのって、とても無粋な行為だとは思うんだけど、これ、物凄くストレートに結論から言うと、脚本の勝利だよね。この「笑っちゃう」ってのを色々考えてみた時に、「あまりにすご過ぎて笑っちゃう」って奴なのかな?とも思ったけど、これは違う。じゃあこの笑いに一番近いのはなんだろう、って考えた結果、今思い出した答えは「モンティ・パイソン」だ。モンティ・パイソンって、ある設定における常識と日常と、それとは全くの異物の差異で笑わせるってのが大きなフレームとしてあるけど、「冷たい熱帯魚」も壮絶な地獄絵図の中に、普段だったら絶対笑わないようなフツーだったり、ベタだったりっていうネタがふっと出てくるという、その差異に笑っちゃう。「社本ー!一歩前へこーい!!」なんて血の海じゃなかったら絶対に面白くねーもん。
だからこの作中のでんでんの素晴らしさって、ニ面性を持った悪魔のような犯罪者としての佇まいよりも、むしろコメディアンの立ち振る舞いとしての演技・アティテュードなんだと思うんだよ。脚本は明らかにスタート地点からしっかりと笑わせる方法を考え、その笑いの装置をちゃんと配置し、それに演者が引っかかって爆発するような演出をしてる。そしてその引っかかり方が最高にうまいのがでんでん、って事だね。この作中のでんでんは映画史に残る凄まじい化け物だけど、本質はコメディリリーフを完璧にこなした、優秀なコメディアンなんだ。
真面目にこの作品、「映画で人を笑わせる」って事に関して、極めて優秀なテキストブックだと思いますよ。この作品に関して何かを書くとき、きっと悪だとか家族だとかって言う話が大半を占めると思うので、笑える映画として大変優れています、って事を言っておきたかった。
だからって万人が笑えるなんて保障しないけどな!!!!!そして神楽坂恵のおっぱい最高!!!!!!!!!!!!!俺の生涯ベスト級のAVである舞ワイフの曽根里美の乳を思い出したぜ!!


俺様採点:3
冷たい熱帯魚の後に見たんだけど、またしても人体解体っていう。冷たい熱帯魚がすご過ぎて、とてもぬるかったな。まあ仕方ない。眉毛のない田島はるかがステキ。乳は残念だけど。